クラレンス・"フロッグマン"・ヘンリー | |
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ヘンリー (1997年) | |
基本情報 | |
原語名 | Clarence "Frogman" Henry |
出生名 | Clarence Henry II |
生誕 | |
死没 | |
ジャンル | R&B |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | ボーカル、ピアノ |
活動期間 | 1952年 – 2024年 |
レーベル | アーゴ・レコード |
クラレンス・"フロッグマン"・ヘンリー (Clarence "Frogman" Henry、1937年3月19日 - 2024年4月7日) は、米国のR&B・シンガーであり、ピアニスト。「エイント・ガット・ノー・ホーム」、(1956年)、「(アイ・ドント・ノウ・ホワイ)バット・アイ・ドゥ」(1961年)のヒットで知られる[1]。
クラレンス・ヘンリーは1937年3月19日、ニューオーリンズに生まれた。1948年に彼は市内のアルジアーズ地区に引っ越し、以後亡くなるまでそこに居を構えた[2]。彼はファッツ・ドミノ、プロフェッサー・ロングヘアから大きな影響を受け、幼少期からピアノを弾くようになった[1]。ヘンリーはタレント・ショーでプレイした際には、ロングヘアを模して両側が三つ編みになったかつらを被った[3]。彼は1952年、ボビー・ミッチェル&ザ・トッパーズに加入し、ピアノとトロンボーンを担当したが、1955年の高校卒業を機に脱退し、サクソフォーン奏者のエディー・スミスのバンドに加入している[1][4]。
1955年のとある晩、ヘンリーは「エイント・ガット・ノー・ホーム」を彼のトレードマークとなったカエル声を交えて即興で歌った。チェス・レコードのA&R担当だったポール・ゲイテンがこれを聴き、1956年9月、コズィモ・マタッサのスタジオにてヘンリーのこの曲をレコーディングさせた。当初は地元DJのポッパ・ストッパがこの曲を推したが、最終的には全米R&Bチャートの3位、ポップ・チャートの20位にまで登るヒットとなった[5]。この芸当により彼は「フロッグマン」というニックネームを得て、晩年まで続くキャリアは幸先のいいスタートを切ったのだった[1]。
ヘンリーは1958年まで、6人編成のバンドで全米ツアーを行ない、レコーディングを続けた[4]。いずれも1961年にリリースされたボビー・チャールズの「(アイ・ドント・ノウ・ホワイ)バット・アイ・ドゥ」と「ユー・オールウェイズ・ハート・ザ・ワン・ユー・ラヴ」も大きなヒットとなっている[6]。
彼は1964年のビートルズの米国、カナダ・ツアーの18公演で前座を務めたが、彼の主たる収入源は19年に渡り演奏活動を行なったニューオーリンズのバーボン・ストリートでの活動によるものだった[1]。
ヘンリーは7回結婚し、その全てが離婚に至っている[2]。彼は10人の子供を設けた[7]。
彼は2024年4月7日、手術後の合併症によりニューオーリンズにて死去した。87歳だった[7]。同月下旬に、彼はニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルに出演する予定となっていた[2][8][9]。
ヘンリーのR&Bにおける先駆者的貢献はロカビリーの殿堂によって表彰されている[10]。2007年4月、ヘンリーのルイジアナ音楽への貢献が讃えられ、彼はルイジアナ音楽の殿堂入りを果たした。
年 | アルバム名 | レーベル |
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1961年 | 『You Always Hurt the One You Love』 | Argo |
1962年 | 『Bourbon St. New Orleans』 | CFH |
1970年 | 『Clarence (Frogman) Henry is Alive and Well Living in New Orleans and Still Doin' His Thing...』 | Roulette |
年 | シングル (A面/B面) | チャート最高位 | |||
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ポップ[11] | R&B[5] | UK[12] | カナダ[13] | ||
1956年 | 「Ain't Got No Home」 b/w 「Troubles, Troubles」 |
20 | 3 | - | - |
1957年 | 「Lonely Tramp」 b/w 「I'm A Country Boy」 |
- | - | - | - |
「It Won't Be Long」 b/w 「I Found A Home」 |
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1958年 | 「I'm In Love」 b/w 「Baby, Baby Please」 |
- | - | - | - |
1961年 | 「(I Don't Know Why) But I Do」 b/w 「Just My Baby and Me"」 |
4 | 9 | 3 | 2 |
「You Always Hurt the One You Love」 b/w 「Little Suzy」 |
12 | 11 | 6 | 4 | |
「Lonely Street」 b/w 「Why Can't You」 |
57 | 19 | 42 | - | |
「On Bended Knees」 b/w 「Standing In The Need Of Love」 |
64 / 109 | - | - | - | |
1962年 | 「A Little Too Much」 b/w 「I Wish I Could Say The Same」 |
77 | - | - | - |
「Dream Myself A Sweetheart」 b/w 「Lost Without You」 |
112 | - | - | - | |
「The Jealous Kind」 b/w 「Come On and Dance」 |
- | - | - | - | |
1963年 | 「It Takes Two To Tango」 b/w 「If I Didn't Care」 |
- | - | - | - |
1964年 | 「Looking Back」 b/w 「Long Lost and Worried」 |
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「Have You Ever Been Lonely」 b/w 「Little Green Frog」 |
135 | - | - | - | |
1965年 | 「You Can't Hide A Tear」 b/w 「I Told My Pillow」 |
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「Tore Up Over You」 b/w 「I Might As Well」 |
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1966年 | 「Ain't Got No Home」 (リメイク) b/w 「Baby Ain't That Love」 |
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「Cajun Honey」 b/w 「Think It Over」 |
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1967年 | 「Hummin' A Heartache」 b/w 「This Time」 |
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1968年 | 「That's When I Guessed」 b/w 「Shake Your Moneymaker」 |
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1983年 | 「That Old Piano」 b/w 「Keep Your Hands Off Her」 |
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1993年 | 「 (I Don't Know Why) But I Do」 b/w 「Ain't Got No Home」 A面再チャート入り |
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